Pashikoの歴史①学生時代まで

こんばんは😃🌃ブログを書くことにもだいぶ慣れて来ました。記事の中で偉そうなことばかり書いている私ですが、今回は私の生い立ちも含めて紹介したいと思います。

1986年夏、Pashiko家の長女としてこの世に生をうけました。私には8つ歳上の兄がいます。兄は出産時の低酸素脳症と手術の後遺症で、重い知的障害を持っています。
私は小さい頃から、両親が苦労しているのを見て来たので、自分は両親に負担をかけまいと良い子でいることを心がけていました。兄が大好きで、私が面倒を見るんだと思っていました。
月日は流れ思春期になると、障害者の兄弟が居ることや、様々な妬みからイジメに遭いました。そこで人の心の痛みや、障害者に対する偏見が根強いことを学びました。悔しさ、悲しさ全てをトランペット演奏にぶつけました。
いよいよ進路を決める時、私には2つの道がありました。普通高校から大学に進む道と、音楽特待生となり音楽の道に進む道。
本音は音楽をやりたかった。でもそれじゃ食べて行けるか分からない。まして親が年老いたとき、兄の面倒も見なければならないから、絶対手に職を付けようと思いました。でもこの時初めて自分の境遇や存在意義に疑問を持ちました。私は兄の為に産まれて来たのかと…
なんやかんやで大学の看護学部に進学し、看護の勉強を始めたけどしっくり来ない。最初の2年は目標もなく本当に苦痛でした。
大学3年の夏婦人科に実習に行き、出産や新生児を見た時に、女性が幸せに出産・育児が出来るように援助したいと思い、助産師を志しました。きっと何かの役に立つかもと思い、保健師の資格も取りました。

そして無事大学を卒業し、現在の職場で助産師として働き出しました。


最後までお読み頂きありがとうございました⤵⤵話は次回に続きます🔜